4月19日足沢山塊やぐら峰付近

この日、私はシシ山に参加しようかどうしようか悩んでいた。
4月16日の大失態が脳裏にあったからだ。
しかし、シシを多少なりともお客さんに食べさせてあげたいという気持が有り、何を言われても我慢しようと出かけた。
この日は、足沢山山塊に行くということで、末沢発電所の近くのブナの神木の所に、車がたくさん留まっていた。
私とほぼ同時機に、О氏がやってきた。
О氏から絵馬を頂き、とりっ木に結び、猟の安全を祈る。
皆の居る前で、最長老リーダーより叱責される。
厭な気分だったが、気を取り直して出発。
毛猛の平を過ぎてすぐの所に、小出町の建設業者がスノーシェード工事をしていた。
その近くが広くなっており、そこに皆車を止める。
別班は、足沢から入り、足沢が眺められるコースを既に辿っている。
前日、シシを発見し、本日はおよそ居る位置はつかんでいるようであった。
只見線を線路を越え、末沢の本流を渡る。
若干踏み後があるので、もう少しすれば、ゼンマイ道として利用されるのであろう。
やがて、進路を右にとり、藤ザ衛門沢に入ってゆく。
雪は多少残って入るが、実に少なく、所々薄い雪橋となっている。
沢は徐々に斜度を増し、やがて細い渓谷状になってくる。
渓谷というより、小沢という感じである。
その、小沢状にスギの木が植林されており、スギ林の中の急登が始まる。
スギ林の終点近くになると、山は雪で満たされており、いよいよシシ山という感じがする。
最長老リーダーより、リーダーM氏に連絡が入り、その連絡内容を皆が確認する。
足沢尾根から登った面々から、既にシシの居場所を確認したとの連絡が有った。
その場所で、逐次、リーダーの方に連絡が有り、シシの動向を見計らい、撃ち場(真山)を何処にするか、協議がなされているようであった。
目の前に、藤ザ衛門沢のカッチのやぐら峰が直ぐそこに見える。
やぐら峰はおよそ、標高1000mである。
昔から、シシ山の目当て場として、決まっている場所でも有る。
やぐら峰のだるみで、我々鉄砲場の面々は待機することとなった。
今後のシシの動向で、どういう風に捲きが始まるのか、解からないので握り飯を1個腹に収める。
やがて、最長老リーダーから、リーダーM氏に連絡が入り、シシは三本松の峰に動きを止めたとの情報が入った。
M氏から、撃ち場の指定を受け、それぞれ、その場所に待機する。
私の配置は、二番受けであった。
真山は一番高い所に設定される。真山とは、シシが登っていく山のことを言う。
勢子の2名が鳴り始める。
緊張感が身を包み、喉が乾いてくる。
自分の所に来て欲しいような、来て欲しくないような複雑な心境だ。
目当てから、逐次、シシの動向が知らされる。
どうやら、予定通り、真山近辺にシシは向かって上がってきているようだ。
「行ったぞ!」と、耳を通して情報が入ってくる。
近くの藪がざわざわと、音がし始める。
「ターン!」静かな、深山に銃声が鳴り響く。
自分の鉄砲場から、いくらも離れて居ない所で、シシは「御アタイ」となった。
リーダーが止め矢を放ち、皆が「御アタイ」を喜ぶ。
小さな、谷間の急傾斜地であったので、解体作業をする為に場所を移動することになった。
重量は60K位なので、背負って行こうということになった。
荷縄がなかったので、細いナイロンロープで、N氏が最初背負う。
N氏も屈強の山やだが、20メートルほどで断念。
なにしろ、固定されていない上、ロープが不十分であるので、必要以上に重く感じられるのである。
次に自分が背負う番になった。ロープを肩に架けて、立ち上がった瞬間はさほど重いという感じはしなかったが、悪い急斜面を歩き出すと、いきなりきつくなってきた。
一歩踏み出すたびに、筋肉がキュウキュウ圧迫され、息が苦しい。
この中でもN氏と自分はガタイの大きい方で有り、皆が見かねて、ロープで引きずっていこうと言うことになった。
シシを腹ばいにし、リーダーが山神に感謝する儀式を行い、皆で合掌する。
皆で、皮をナイフなどで剥ぎ取り、徐々に解体されていく。
シシの肉体は、あます所なく使われる。
腸の中に雪を詰め込んで、何べんもそれを繰り返し、腸を洗浄する。
洗浄された腸に、腹部の血液や体液を腸詰するのだ。
万病の薬とされる、熊の胆もそこそこ有る。
大方の難しい作業を終了し、後は肉のブロックにして、それぞれ分担して背負っていく。
数日前の自分のミスで、シシは捕獲できない悔しさが今だ残っていたが、今日の猟かで気分的には少し楽になった。
真山には、感謝感謝の一日であった。

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