3月7日 ウサギ狩り最終

 野兎駆除は日曜日まであるが、いずれも出れないので本日が最後と張り切っていた。
だが一方では、のんびり家でのらりくらり過ごしたいという気持ちも無いではなかった。
気になっていたシロは今日も連れて行かないこととした。身支度を整えシロの所へは向かわず、真っ直ぐスキー場に歩いていく。
 今日のコースは3/2と同じ、守門川に沿って歩くコースとした。
スキー場でカンジキをつけ、守門川を渡渉する。渡渉すると誰かが歩いたトレースがあった。昨日のものだが、スキーとスノーシューであり、環境調査隊のグループと察した。彼らのトレースはおそらく、守門川のエラオトシ沢ダムまで続いているものと思われ、トレース確保にはちょうど良いと思う。
 サッパタ沢右岸の尾根に登り、ウサギの足跡を観察する。最初は光の具合で、あまり足跡は目立たなかったが、太陽があたり始めるとウサギの足跡だらけであった。これだけ足跡が沢山あると、日中潜んでいる場所は特定が困難である。足跡はあるが、気配はまるでないと断定し、次へと進む。
 環境調査隊のトレースは国有林のゲートの所で終わっていた。ここで環境その他を観測したらしい。
守門上流第1号砂防ダムの上部をへつり、エラオトシ沢左岸斜面側に取り付いた。
ここでたくさんウサギを獲る筈だった。確かに足跡は多すぎるくらい多いが、一昨日の足跡が雪を被ったものや、昨晩12時間のものまで交じり合い、まさに足跡だけは大集会と言った風だ。だが特定できないし、飛び出しも無い。飛び出しがないということは、『いない』という確率が高い。
 獲物が見込めぬ猟は、意気消沈する。足も重く、愚痴もついついこぼれがちだ。『ああっ、さっつぁんなった』(厭になったの意)
 かなり下方から小沢沿いに見ながら登るが、まるで気配はない。一昨晩の足跡も用い、カムフラージュするから尚の事解らない。
ときめきも期待も、夢も希望も無い。そんなときはメタボリックな腹が尚一層重く感じる。
尾根に着き、しばらく下っていると守門川の右岸方面から銃声が聞こえてきた。たぶん、父と父の猟仲間の2名であろう。平日出れる面々は決まっている。『なるほどね、あっちという手があったか』。いずれにせよ、今日みたいな日は複数で捲いて獲る方法でないと獲れない。朝少し遅めに出て、一緒に行けば良かったか・・。
 尾根を再び戻り、春先山菜が多く出る平地のやや上部を横切る。木の袂にじっとしているウサギを発見し、捕獲。やっと獲物にありついた。
元来た道を戻り、折り返しに掛かると再び守門川の右岸斜面から射撃音が聞こえてきた。今度は連続で数発聞こえてきた。杉林の上部と下部に分かれ、へつりながら下降して行っているようだが、割と居るのであろうか。追われたウサギがきょとんとして、木に袂で動かない。ここから100m以上あるので、むやみな発砲は外道というもの。

 本日も、サッパタ沢へ一旦下り、福田石材山伏岩の平地を経由していくコースとした。
天気はよくなり,気温もあがってきたが、雪は粘り足は重くなる一方である。
 平地で、ウサギの頭を一つ出ている木の袂を発見し発砲するが、タイミングが遅く失中、二の矢は木が邪魔して発砲出来ず、恨めしそうにウサギの新しい足跡を眺めるのみ。
下りは、福田石材の構内へと出るつもりで最後の猟場を選択した。しかし、昨日父たちが巡ったルートとだぶり、猟かの残骸だけが雪の上に印をつけていた。ここから下は如何に諦めの感情を心に充満させるかの時間帯である。目標数に対してのシビアな現実から、自分を慰め心を平にする為の時間なのである。
 いつもの年は、得てしてボーズで締めくくるのがパターンであるが、今期はそれでもぼーすにはならなかった。最近は常に単独で行く猟。単独猟では過去最高の猟かを上げた年でもある。
 他の猟と違い、ウサギ狩りでは荒い息の状態での発砲となる。山坂を登り、獲物と対峙しても照星を合わせなければ獲物は獲れない。
今日も7時間でウサギ一頭、高いウサギとなった。でも、ぼーすではない。
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