5月8日 五味沢〜田代平〜五兵衛小屋ピストン 単独&シロ

田代平入り口ゲート4:55  温泉源泉5:15  よしが沢橋6:10  田代平木の根分岐6:45  木の根山(1046.8m)7:05
田代山(1135m)7:40  丸倉山(1191.3m)8:15  発8:25  県境線1066m9:00  大倉山右県境線尾根9:20
五兵衛小屋山頂10:05  発10:15  大倉山(1016.5m)11:10  丸倉山12:30  発12:40
田代山13:20  田代平湿原13:40  よしが沢橋14:15  温泉源泉15:25  田代平入り口ゲート15:45
計10:50

 守門山塊烏帽子山の宿題を終え、頭にまず浮かんだのは中の又山の事だった。
岳人が憧れる川内山塊の一角でもある。
福島県側から入れば、割と容易に入れそうでもあるが実体は解らない。
ピークハントも魅力的だが、ルートを大白川から取ることが一番の目的だった。
 川地の山々に詳しい、諸先輩の方々からは、日帰りピストンでは厳しい旨のアドバイスを頂いた。
アドバイス後、距離を新たに調べたりしているうちに、徐々に諦めが入ってきた。
 結局、行ける所まで行く事としたが、とりあえず丸倉山(1191.3m)と大倉山(1016.5m)はハントしたいと思っていた。
早朝に家を出、ホテル大自然館からの歩きを覚悟していたが、運良く田代平入り口ゲート付近(580m)まで除雪がされてあった。
これで少なくとも、30分近くは時間短縮できたわけである。
 下ろし立てのスパイク付き長靴を履き、シロを伴い出発。
シロも自分も、およそ2週間ぶりの山である。
シロは、この時ぞとばかり、ブレーキの壊れた生き物の如く疾走を繰り返す。
田代平までは、長い長い道のりをひたすら歩く必要がある。
今年は、やはり予想通り、雪の量は多く、道路の法面にはべったりと雪が付き、傾斜となって歩きづらい。
我慢一筋でなんとか吉が沢(約715m)に着く。
吉が沢からは、一登りで田代平に着く筈である。
林道をショートカットし、なるべく直登気味に高度をかせぐ。
遠く越後三山や、近くの黒姫は最高の景色を提供しているが、目の前の木ノ根山はガスで覆われたままである。
いずれにしても木の根山ピークは、直ぐ傍の筈であり、多少の藪漕ぎは覚悟でガスの中を登り始める。
案の定、目の前にチシマザサの密藪が現れた。
しかしながらほんの数分で稜線に飛び出す。
稜線の景色を期待したが、なかなかガスが切れてこない。
空を見上げると、太陽がうっすらと覗いているのがはっきり解るので、いずれガスは切れてくるであろうと思われた。
木の根山ピークを過ぎ、だらだらと尾根は続き、少し急勾配を増す。
徐々に稜線がはっきり見え始め、目の前のピークが田代山である事を確認する。
ガスは、一気に上がり始め、『来た来た来た〜!!』と意味不明の嬌声を揚げる。
この高さにしては珍しい雲海のお出ましに、さらにテンションは高まる。
会津の山々や、川地の山々、越後平野、それぞれに雲海に覆われ、まるで3000m級の山にいる錯覚さえする。
類を見ない、絶好の景色に思わず笑いが漏れる。

一路、進路を右にとり、丸倉山を目指す。
丸倉山の名称は、国土地理院25000分のT地図には記載されていない。
下田山岳概略図からの引用である。
大倉山も地図には記載されておらず、これも上記地図からの引用である。
田代山からは、一気に100m下り、その分以上の登り帰しが待っていた。
丸倉山の由来を察するに、丸い頂を持つが、東側は険しい山容で或るの意であろうと思われる。
丸倉山からの眺望は、素晴らしいの一言であった。
特に、黒姫から守門、大岳、烏帽子の守門山塊を余すところなく眺められることが驚きであった。
過去、数え切れ無い山歩きの中でも、こんな絶景は初めてであった。

丸倉山からは、比較的徐々に標高が下がって行くパターンとなっている。
いくつかの広い尾根の登り返しなどがあるため、地形図を手に持ちながら尾根を歩く。
徐々にではあるが、ガスも切れ始め、叶津川もはっきり見えてきた。
支尾根はいくつかあるが、ガスが切れてきたので間違える事は無い。
地形図を見ながら、大倉山と五兵衛小屋の見当を付けながら進む。
 先に歩いているシロが突然吼えはじめた。
すると、目の前にカモシカが現れ、シューッと威嚇音を発している。
すかさずシロは、あとを追いかけていくが、カモシカが藪に逃げ込むと追うのを諦めた。
 
丸倉の尾根は結構距離があったが、やがて終わり、ここから150mほどの急な下りが始まった。
登り返しの事を考えると、あまり無理は出来ぬと思う。
かなり下り、1000m前後の登り返しの連続の穏やかな稜線となる。
 かなりブッシュに覆われた、岩の塊状の山塊が現れ、大倉山である事を指している。
ここでピークハントするのは、かったるいので、ハントするとすれば、帰路途中でと言うことにし、通り過ぎる。

大倉山近くの県境線からさらに下る事150m。
ついに標高は800m台に突入。
五兵衛小屋の手前では、865mまで下がった。
足もだるく、気も萎えはじめていたが、何とか五兵衛小屋まで行きたかった。
五兵衛小屋940mピークは、踏み痕のように平らになり、植物がそこだけ生えていなかった。
人が入ったものであろうか、それとも小屋のなごりなのであろうか。
五兵衛小屋ピークから東を眺めると、中の又への稜線が続いており山は近くに見える。
時間にすれば、この疲労度から言っても、後3時間は見ないといけないであろう。
とすると、結論的に日帰り不可能という事になる。
第一、足が重くこれ以上進む気力も無い。
感慨もそこそこに留め、早速下山(登山)にかかる事にした。

全行程を午後4時くらいまでと計画していたので、途中の大倉山ハントは実行する事にした。
同じコースを辿り、途中で県境線と大倉山への鞍部に取り付く。
鞍部で地形図を確認し、三角点の位置をチェックする。
登り始めようとすると、なんと踏み痕がある。
大倉山山頂から下った痕である。
そのトレースを使い、難なく山頂に着き、あっさりと三角点はあった。
それは頂部が少し出ている状態であり、歴史を感じさせる。
しかしながら、山頂は人が踏んだ形跡があり、土が露出していた。
トレースは、下から上がってきたものであり、新国道289あたりの小ヒグラ沢あたりを利用したものであろうか。
 大倉山直下は垂直壁のようになっており、なかなか渋い男性的な山容であった。
先行者者のトレースを追うわけでも無いが、何故か同じ跡を追い県境線に着く。
トレースはさらに丸倉方面まで続いており、そこまで行くつもりなのであろう。

1066mあたりで丸倉山直下、急登稜線から下ってくる人影を発見。
おそらく大倉山でのトレースの主であろう。
こんなマイナーな山域で会ったのも縁、挨拶でも交わそうかと登るが、なかなか会わない。
おかしいな、と見晴らしの良いところまで登って確認すると、なんと進路を左にとり289方面に向っているようだ。
あくまでも人と会いたく無い・・・そんな心境の登山家であったのであろうか?少し残念であった。
途端に気力も失せ、ちんたら休み休み丸倉山へと登ってゆく。
相当腹が減った感じがしたので、ここでゆっくりたらふく胃袋に収める事にした。
午後となり、丸倉山からは全ての山塊が見える。
遠く弥彦山の向こうにも山があり、佐渡であろうか。
めったにない5月の素晴らしい眺望である。

丸倉山を下ると最後の田代山への登り帰しが待っていた。
まさしく待っていた・・の言葉が適当なくらい、堪えた。
足がとにかく重くだるい。
数十歩あるいては休むという繰り返し。
それでもなんとか田代山へと辿り着く。
 田代山稜線には、なんとまたまたトレースがあった。
直後であると思われるが人気は感じられない。
 田代平らの雪消えの状態を確認したかったので、急登をグリセードで下る。
田代平らの湿原には、かろうじてミズバショウの花が咲き始めてはいたものの、まだ1.5mほどの積雪に覆われていた。

田代平らを後にし、来た道をトレースしショートカットし、吉が沢へと滑りこむ。
足はさらに棒になり、尻もすれてひりひりする。
途中の土が出ている茅野で腰を下ろし、足を放り出す。
急に眠気が襲い、5分ほど寝込んでしまう。
足を放り投げたせいか、大分足が軽くなったような気がする。
どこからともなく、田代山で見た足跡が出現。
いつかは追いつくのかと辿るが、結局最後は既に車も無しで、今日のトレースは二つあったものの、両方とも顔を見るでもなく不思議な登山者であった。
田代平の新しいゲート口に着くと、建設業者の除雪機ユンボとロータリーがあった。
これから、エコミュージアムまで除雪するのであろう。
 最後のアスファルトは、へなへなになりながら車にたどり着いた。

今回のメインは、なんと言っても丸倉山であった。
以前より、守門や黒姫から見る丸倉山は、のっぺりとした山容であり、潜在的に何時か行くもの・・と記憶されていたのであろう。
めったに無い素晴らしい山行で、昨日の登山者はどこも大あたりであったであろう。

田代山から雲海と浅草岳 丸倉山1191.3mから黒姫・守門・烏帽子
丸倉山から粟・矢筈・青里と、その雲海 五兵衛小屋山頂から青里・矢筈・光明山
五兵衛小屋山頂から中の又山 五兵衛小屋山頂から中の又山稜線
大倉山1016.5mの山容
田代平の残雪と新緑&ミズバショウ 田代平新緑2

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