2009 1/7 猟山行1
気持ちを新たに1回目の猟と決め、向かう。今日は獲物なしは厭だったのでシロは伴わない。シロには
可哀想だったが仕方ない。シロを伴うと獲れる確率が明らかに下がる。
大原スキー場途中で車を止め、カンジキを付ける。猟では、荷はいたってシンプル。弁当・双眼鏡・ウサギを入れる袋・デジカメ・黒砂糖の粉・飲料水・銃と装弾・ガーバーナイフ。服装も下着の上に1枚のみ。
1つ目のウサギの足跡が気になっていたので、そこからまず確認しながら入る。しかしウサギは居ない。再び上部に移動。平行したウサギの足跡が上に登っているのでそれを追う。一頭は右に、もう一頭は左へ。ここで右に向かった足跡をまず優先し追う。右の足跡はそこから下へ下っており、時間的にかなり経っているものと思われた。左に向かった足跡に追跡を変更。上から回っていくとたった今飛び出した痕跡があった。2つに分かれたウサギの足跡の新しい痕跡をそのまま追えば、出くわしたに違いない。なぜ、右の足跡を追ってしまったのか。『ともすれば一網打尽に・・・』という二兎を追う欲が出てしまったのであろう。昨年同様、ちょっとした判断ミスがここでも出てしまう。足跡の時間差をうすうす感じていながら、はっきりと判断しなかった自分に苛立った。
逃がしたあとは、感情を何処に収めればいいのか解らなくなる。ふと雪面を見ると穴が開いていた。穴は自然のものではなく、タヌキのものであろうか。穴だけがくっきりぽっかり開いていて、中に何かしらの生活の様子を想像できる。
標高を稼ぐのはここでやめ、少しづつ下りながら進路をとる。明らかにカムフラージュ痕がある。カムフラージュ痕とはウサギの足跡が途中で停止し、そのまま何歩か引き返す。さらに、T字型に進路を90度変更するのだ。変更した後、さらに戻ったりT字を切ったりし、所在をカムフラージュするのである。いずれにしても途中で足跡が消える、或いはバックする、などの足跡がある場合には、近くに潜んでいると考えられる。その痕跡を用心しながら追っていくのだが、今日は鳴る雪だ。昔はこれをぐつぐつ雪といったが、ぐつぐつという音がするのだ。姿を見るまでもなく、カンジキの音に気づいて、どうやら逃げたようである。ヒドに逃げ込み、少し下っているので、ヒドの左岸の尾根を用心しながら歩いていくが、やはりまた元の位置に戻るらしく、上へ上へと逃げた痕跡は続いていた。これ以上追っても獲れる確率はゼロだ。無駄な労力は使いたくない。これらの逃げたウサギは、時として凹部などに潜んでいることがある。その場合は獲れることもあるが、完全に上へと向かっているウサギはかなり用心深く、日中かなり覚醒していたものであろう。これで2頭目のウサギを逃がすわけだが、これは対策のし様がない。
まだ、10時半だったが弁当を食べることにする。小腹の空いた時には粉の黒砂糖を舐めながら歩いてきたのだが、腹が膨らまないとどうも足に力が入らない気がする。カンジキ歩きの単独行は体力を使う。280ccのお茶のペットボトルも2本空いた。薄着で来たが、汗もかいたようだ。
そのまま下り、尾根の上を沢を隔てた斜面を見ながら下っていく。つまり沢の左岸の斜面のウサギの足跡を見ながらということである。左岸の斜面側にはいくつものウサギの足跡は見られたが、カムフラージュ痕は見られない。自分側の斜面にカムフラージュ痕があった。なぜもっと早く見つけることが出来なかったのであろうか。光の関係である。太陽があたればウサギの足跡は克明に解るのだが、曇っていたりすると実に見難い。太陽が時折現れる今日の天気で、その時もちょうど太陽が当たった時であった。近くに居るのは解っているのだが、複雑にカムフラージュしていてはっきりと居場所を確定できない。とりあえず、沢筋に向かって下って行ってみようと数歩下る。同時に、泊まっていたウサギは雪煙を上げジャンプし、一瞬姿を見せ、対岸の斜面へとダッシュして行った。勿論、全く何かをする時間もなく、呆然と立ちすくむのみである。しかし、完全にこれも自らの進路ミスである。あのまま下らず尾根筋に下っていれば、余裕を持って捕獲出来たであろう。ウサギを何処に逃げさせ、何処で捕獲するのかを明確にイメージしていれば捕獲できたはずである。
今度は、対岸側の斜面にカムフラージュ痕を認めた。双眼鏡で居場所を確定しようと眺めてみるが、どうも後ろの雪を被った杉の木辺りに居ることが予想された。数歩下るとやはりウサギは飛び出した。ウサギはどっちに逃げるかがポイントであったが、上手い具合に木などの障害物のないところに一瞬出現した。トリガーを引いた瞬間、外してしまった・・と思った。照星が上を向いているのが自分でも解った。それでも、半矢状態もあり得るので痕跡を追った。幸いというか不幸というか、まったくウサギは無傷であったし、発砲箇所を確認してみると、ショットパターンは明かにウサギの10cmから20cm上に着弾していた。これは完璧な射撃ミスである。なぜ完璧に肩付けをする前に撃ってしまったのかを考えた。獲物が単に欲しかったのである。物事には順序があるが、結果が欲しくて焦ってしまい、しっかり狙わずに撃ってしまった。別な言い方をすれば、射撃技術に自信がなく、とりあえず半矢でも良いから撃ってしまおうという心理もあったであろう。最も良い条件で撃ち損じた精神的ダメージは大きい。
気を取り直すことなど無理だったが、捨て鉢な気分で山に身をおくことは山に対して申し訳ない。自分の実力のなさはさておき、猟欲を最後まで保つことを意識した。大分下り、田んぼが現れた。よく見るとここでもカムフラージュ痕があった。5個目のカムフラージュ痕である。今度は獲りたい。気持は焦っていた。T字を切っているが、左に行った痕跡と右に行った痕跡がある。右側の痕跡は沢を越えず、反転し再び左に向かっていた。悩んだ。どっちなのか?左側に行き様子を見たが、どうも左ではないようだ。再び右へ。思わず落胆の溜息が出た。沢を越えず反転したウサギは、数歩バックしここでもう一度T字を切りカムフラージュ痕を残していたのだ。いわゆるカムフラージュ痕の重複である。これらの作戦ミスは、雪が鳴ることも要因のひとつだが、一定の場所から双眼鏡でウサギの痕跡の概要を把握することが重要であると感じた。
5個のカムフラージュ痕全て駄目だった。居場所をある程度解っていながら獲れなかったのである。かなり悔しいし、獲物が無いのは厳しい。ウサギを獲りたくて、シロも伴わず、弁当まで作ってきたのである。これでボーズだったら鉄砲撃ちとは言えないのではないか。今期より、60年も狩猟をしてきた父は猟をやめている。地元でお世話になっている方々への届け物としてのウサギの価値は高い。猟が楽しいとか、生き物を殺すな!などの動物愛護精神だけでは片付けられないものがあるのである。
時間は午後になっていたが、正午をいくらも回ってはいなかった。ここは気分を転換するために、別の猟場へ行くことにした。別の猟場といっても、車で移動するわけではないので、車道をそのままカンジキで歩いて移動する。この猟場は先月の末に一度シロと来ており、2頭のウサギを確認していた。ここでなんとしても獲る。意気込みはあった。
ここのウサギはほぼ沢筋にしか居ないことが考えられ、沢の縁を歩いていく。足跡はほどほどあるが、カムフラージュ痕は見られない。駄目か。諦めている場合ではない、終わりまで猟欲を保ち続けるのだ、自分の心を叱咤した。沢筋に下り、じっくり用心しながら足跡を観察する。しかしカムフラージュ痕はやはり見当たらない。絶対に諦めない、心を強く持って歩いた。狭い林道を登って行きカーブを曲った途端、ウサギが斜面を駆け上がっていくのを確認。慌ててはいけない、今度はじっくりと照星を合わせ撃った2発で捕獲した。距離は約20mだった。モチベーションを保っていたから捕獲できた。沢筋に降りた時に心が萎えていたのなら、完璧に拒銃が間に合わなかったに違いない。猟欲を保ちつつ、銃を構えながら歩いていたのが功を奏した。
処理を終え、時計を見ると13:45。まだ猟欲はあった。だが、あとの斜面は日当たりが悪い箇所で、明らかにウサギの居場所としては不適だ。ウサギは、体毛も少なく、皮下脂肪も無い。従ってなるべく日当たりが良い場所を好む。移動していると、既に時計は14時を回り、さすがに猟は終わりとなった。
とにかく、まだまだ雪が少ない。杉の植林地の中では迷路のように入り組んでいる。これも雪の量が少ないために木の露出量が多いのである。ウサギのカムフラージュ痕を見つけるのも難しい。ただしかし、失敗は多かったが充実感のある1日だった。猟を終えるまで、猟欲を保ち続けること、確実に銃を扱うこと、足跡をシビアに観察すること、ウサギの居場所を第一印象で特定すること・・など、改めて言うことでもないが、確認できた。
休憩は弁当休憩のみの、計6:30の重い雪のカンジキ行であった。
未だ雪が少ない猟場