2010登山道整備記録
特に今年は暑く、地獄の草刈が待っているかと思うと気が滅入っていた。
もう大分前から、同業者の組合組織が市から委託を受け、登山道整備を担当を振り分け行っている。私の担当は守門岳布引道・ネズモチ平登山口から浅草岳山頂・鬼が面山山塊の三箇所である。
7月下旬から仕事が多忙となったが、お盆過ぎには暇となるパターンが予想され、後半に一気に終わらせようと計画していた。しかし、お盆過ぎから別口の仕事が連日あり、どうも草刈の作業行程が不安になってきた。
お盆の14日まで仕事があり、体が空いたのは15日だった。ゆっくりビデオ鑑賞でもしたいところであったが、この日を逃がすと随分と行程に遅れを生じてしまうと考え、重い尻を持ち上げ次男と共に整備を開始した。最初の分岐のところだけが草が伸びており、あとはさほど多くなく、順調に刈り約5時間ほどで終了。
なにしろこういった登山道の刈り払いは、始めるまでが厭で仕方ない。初めて機械を作動し、カッターの刃を草の中に押し入れる時に、また始まったんだなぁ〜とためいきが漏れるのである。
16日、この日も次男と入る。布引道が終了したので、この日は浅草岳ネズモチ平登山道である。毎年毎年広く刈り払っているので、入り口付近はかなり草が薄くなってきてさして刃を入れる必要もなかった。約3時間ほど実施し、所用があるので標高1000m付近まで作業し帰る。
16日以降は、仕事の関係でまったく出ることが出来なかった。
24日、次男とこの間のネズモチ登山道の刈り払いの続きをしに向かう。この日も本業があるので、数時間しか作業出来ない。約40分掛かってこの間の場所まで行く。1400mの場所から浅草岳は良く見える。少しガスが出ていたせいか、上のほうは風があり凌ぎやすかった。1500m弱のところで終了とした。
28日、やはり次男を連れて今度は桜曽根まで車で入り登り始める。ネズモチ分岐まで1時間30分要した。休憩後、今度はネズモチ道に逆に下り、分岐にむけて作業を開始した。約1時間強刈り、再び分岐に到着、食事。土曜日ということもあり、登山者が昼を過ぎても登ってきていて作業にあまり集中できず、
午後2時にようやく浅草岳山頂まで刈り払いを終了した。しかし、これから刈り払いを開始する鬼が面山山塊の縦走路はとてつもなく長く見えた。
再びネズモチ分岐に戻り、今度は六十里方面へと刈り払いを開始する。最初はいやらしいごつごつした岩道が続き、刈りずらい。そこを過ぎた頃燃料切れとなり補給、再び下方へと刈り払い作業を進める。どうも次男が嫌気が差してきたようで、4時になった時点で終了とした。機械をデポすることとし、少しエンジンの熱を冷ますために休憩しその後帰路に着いた。
本格的な地獄はここからであった。29日、この日から次男は学校やらで出ることが出来ず、桜曽根から再び出発。替え刃や弁当、燃料、工具など詰め込んだザックは重い。数分歩くと、たちまち途切れなく額から汗の玉が登山道に落下してきた。こんな苦行に、何も考えることもなく、ひたすら汗の玉の落下数を勘定している自分がいた。
2時間弱掛かり、昨日の現場に着く。早速燃料を入れ、開始しようと所、ゴーグルが見当たらない。これがないと飛び散った草の茎の断片や小枝の断片が目の中に飛び込んでくることがあり、眼球を傷つけることがある。以前、これで眼科通いをしたことがあった。ゴーグルがなくては仕事にならない、少し戻って分岐のところを確認するが、ない。どうせならと、山頂まで行って見るがやはり見当たらない。山頂では、およそ7〜8名くらいの登山者が寛いでいた。刈払い機のタスキを掛けた私が、何も荷物も持たないでうろうろしているので登山者は怪訝な顔をしていた。一方は行楽で登山し、山頂を踏んで美味しい食事をしている。なのに私は、仕事で過酷な労働をしにこの山頂を踏んでいる。この差は一体なんなんだろうか?右往左往している自分が特にこの日は情けなかった。
いずれにしてもゴーグルは見当たらず、もともと細い目だから、さらに目を細めれば何とかなるだろうとゴーグルは諦めることとし元の場所に戻った。だがどうだ、いくらも離れていないところの草の上にテンとゴーグルが置かれているではないか。たかだかゴーグル1個のために45分もの時間を費やしてしまったのである。このタイムロスは一体どんな意味があるのだろう、そんなことを考えながら作業を開始した。
登る場合は刈り払いはし易いが、下りながらの刈り払いは足元に特に注意が必要で、それが延々と続く。鞍部を過ぎ、2回目の給油のところで昼食とした。まだまだ目的の村杉沢ガッチではかなりある。なにしろ稜線は蛇の様に蛇行し、アップダウンもあり、なかなか着きそうで着かない。午前中2回の給油、午後は3回の給油で午後5時、目的の確信部の一角、村杉沢ガッチまで到達した。
残った弁当の飯を胃の中にさらい込み、5時15分に出発した。かなり無理したが、やはり疲労が溜まっていて1時間で分岐に着くのがやっとだった。7時少し前になると足元の暗さは増し、ヘッドランプを点ける必要があった。闇夜の登山道にカサリコソリと蠢くものが居て、よく見るとヤマアカガエルであった。
7時25分、車の置いてある桜曽根駐車場に着き、家着は午後8時であった。
30日、この日からさらに仕事は多忙となるが、同時に刈り払いも実施しなければならなかった。よって、助っ人の山仲間の友人平井氏を依頼することとし、朝6時30分に家を二人で出た。7時15分頃、六十里登山口を出発。7時を過ぎたばかりなのに、朝からびしりびしりと日光が激しく照り、汗が滝のように流れるのが解った。普通ならマイクロ中継局まで一気に上るのだが、途中の九十九折部で休憩する。私の機械は山中デポしてあるが、今日から参戦の平井氏は重い機械を持っての登りである。そんな屈強な彼は弱音を吐くことがない。
ここから刈るのだと、吹き峠分岐のところで休憩しながら説明する。この吹き峠分岐から稜線までが樹林帯で、回りの景色を見ることができず、矢鱈長く感じる道である。
稜線に出てからは日射はさらに厳しく照り、長い長い道のりが立ちはだかっていた。さすがの平井氏からもネガティブな言動が発せられたが、3時間ほど掛けてようやく本日の作業の開始部の村杉沢ガッチに着いた。ちょっと早めの昼食を摂り、早速はじめようということになり、弁当を物色するがどうやら忘れてきたようだ。今まで、山に行く時には必ず食料と水だけは忘れたことがないのだが、朝のバタバタですっかり厨房に置き忘れてきたようである。俺が握り飯2個あるから、1個やる、との言葉に安心し、さらに丸ごとのパイナップルを分けてくれ、これがまた極上の美味さだった。山でパイナップル、これは是非試して欲しい一品だ。
美味いパイナップルも貰い、握り飯も一つ腹の収めたせいで随分と疲労が回復してきた気がした。11時少し前から作業を開始。二人で追い越したり越されたりしながら、随分と速いペースで刈り払いは進んでいく。ただ、正午過ぎからの日照の激しさは尋常ではなかった。1400mを超えるこの稜線でも、おそらく32度以上はあったものと考えられ、まさに気違いじみていた。熱疲労や高めの血圧などで頭痛が始まっていた。
午後1時45分、南岳手前のピークまで到達し、そこに機械をデポすることにした。2時に現場を離れ、六十里の車の所には午後4時過ぎに着いた。もちろん、着いてほっとする余裕もなく、本業に取り掛からなければならなかった。
31日、工期最終日、ラストランの日である。昨日よりも多少楽な展開になるであろうと、少しゆっくり目に六十里を出る。昨日の出発時間より約1時間の遅れである。天気予報は30日31日は曇がちで、暑くならないであろうとされていたが、まったく違う。昨日よりもさらに暑く感じ、マイクロ中継局付近までで既にパンツまで濡れてしまっていた。
平井氏はやや下方に機械をデポしておいたので、そこから刈り始める。私は昨日のデポ場所まで行き、10時30分作業開始。1時間15分ほど刈り、南岳に到着。そこで昼飯とする。平井氏はもうすぐで終わる、と言うが、私はここから下が最も長いスパンであると認識しており、2時間はたっぷり要すると予想する。早めに作業を開始。刈っても刈ってもまた同じような地形が延々と続く、それでも気違いのように機械のシャトルを振り、できるだけ早く刈っていた。1回燃料を補給し、さらにエンジン回転を上げ、下まで刈った。入り口までようやく到達し、完了写真を撮り込む。結局昼食を摂った地点から2時間45分掛かったことになる。昨日より早めに切り上げることが出来るだろうと予想したが、1時間近く逆に時間が掛かってしまった。