2011年4月15日 魚沼市 唐松山&猫岩
三つ又集落標高250m(1:25)ツナガ沢右岸461三角点(1:15)伊五郎岩上部710p(0:15)発(0:30)主稜線分岐903三角点(0:10)発(0:35)主稜線1001p付近(0:10)発(0:45)唐松山(0:15)発(0:20)猫岩(0:10)955三角点手前ピーク(0:55)北の沢(西の沢)478p(0:10)発(1:15)大倉又沢&手の又沢の軽トラのみ通行可能な橋(0:35)中子沢車道(0:35)三つ又集落
三つ又集落から車道を歩き、ツナガ沢沿いの林道を歩き、北の沢と東の沢の中央尾根を登り、直接大倉山へ至る計画を立てていた。しかし、ツナガ沢の橋を渡るとそれらしく尾根が見えているが、かなりの藪が露出しており、ルートの変更を考えなければならなかった。早速地図を取り出し、ルートの再検討を試みた。4月10日のルートは途中でブロックに阻まれていたため、基本的に通らないこととしていたので、そうするとさしあたって手っ取り早い方法はこのツナガ沢とアシ沢の中央尾根伊五郎岩を経ての尾根が考えられた。
早速取り付くとなだらかな尾根となり、快適であった。しかし、50mほどの藪に阻まれ、そこは天然の藪で密に絡まり時間を要した。しばらく行くと、雪があったりなかったりしたが、ところどころ踏み跡があり、ピンクテープも結ばれていた。この先の462三角点への道なのであろうか、藪の薄くかなり歩きやすい状況ではあった。
三つ又集落は標高250mほどであり、そこから462三角点までは200m以上の標高差があるため、かなり高度感はある。途中で用足しをした時間もあるので、多少プラス傾向ではあるが、ここまで1時間25分も掛かってしまっていた。
そこから伊五郎岩近辺の尾根を見ると、途中雪もあるが藪もありで、なかなか順調には進めないと悟る。こうなれば、なるべくいざという時のために体力はなるべく使わないよう逆に開き直ってスローペースを保つ。あっちこっちのニホンカモシカが現れ、シロは気になって仕方ないようで、あちこちと下ったり登り返したりでまったく老成に違わず運動量は相変わらず多い。
依然、鉈目などはそこそこあるルートとなっており、コンクリート杭が打ち込まれているので、民有林と国有林の境の杭なのであろうか、日当たりが良く腐葉土が多い土壌の部分は、得てして陽性木本が蔓延っているが、土壌が痩せ岩質の箇所は道らしくなっている。高いところから我々をじっと見下ろしているカモシカが何頭か居たが、シロは目線が低いのかまったく解らず、カモシカのシューっという威嚇音でさえ気づいていない。
なんとなくではあるが、この厳しさゆえに唐松山への到達はすでにどうでも良くなっていた。むしろ未踏の大倉山へのモチベーションが高まってきており、くだりのルート算段を自然としていた。つまり、大倉山から明神山を経て長い尾根筋をとおり、途中(378)でツナガ沢へ降下を考え始めていた。というより、すでにそのルート取りに決定していたと言えよう。
伊五郎岩の急登の藪を抜けるとようやく残雪の山らしい雪が豊富な地形となった。
4月10日に至ったルートの804pはかなり雪が落下しており、この間より安全性は高まっているようでもある。
伊五郎岩の上部に至ると、大倉山へのルートは脆いブロックと細かい雪塊が上部に散りばめられていて、それは一種通行の拒絶を感じた。近くまで行って最終決断をするか、いろいろ迷ったが、その道中の尾根も険悪で、心の中ではすでに白旗があげられていた。
902.8ジャンクションに至る道中でも、かなりやばいと思われるナイフがあり、肝を冷やした。たぶん、複数であれば心のゆとりが生まれ、冗談を言い合いながら渡っていたのだろうが、シロは冗談を言わない。慎重に一歩づつ903ジャンクションピークへと渡る。その先の上部ではカモシカが威嚇音を発していて、さすがにシロも気づき追いかけていくが、野性にはまったく適わない。たちまちカモシカは劣悪な急傾斜地へと逃げ込んだ。
903三角点へ着く。
結局、大倉山はずたぼろブロックと、細かい雪塊が上部にあり、即諦める。変わって唐松山へ行き、適当な尾根を見つけて中子沢辺りへ下る行程とした。
唐松山方面へも、やはり国有林と民有林の境の杭のようなものが適当な距離で埋め込まれており、当然鉈目などがあり、道らしい部分もあった。途中痩せ尾根や藪が濃い場所もあったが、高度さはあまりないためゆっくり稜線歩きを楽しめた。かつて三角点測量の手伝いで登った数々の無名ピークも見え、マニアック山人たちの憧憬の毛猛山塊も見え、360度しつこいくらいの山並みが見える。山の海だー・・・と具現することも出来るが、山だけだ、、山しかない、それだけなのだ、と個人的には意気消沈さえしてくる。 唐松山へ到達するかしないかの頃、下山ルートを物色する算段をする。どれが良いか、さしあたって猫岩の向こうのピークから北の沢(西の沢)右岸のルートが比較的最後まで雪が付着しているようであり、そこを通ることを自分の中では既に決定付けていた。
猫岩をを通過後、954.5三角点手前のピークから手の又沢と北の沢(西の沢)の中央尾根を下り、後に西の沢右岸尾根を下ることとし、下山開始した。下山しながら下の手の又沢右岸のなだれ崩落が遠くでも確認でき、手の又沢と数本の沢が合流する前に総称大倉又沢左岸尾根に取り付き、三つ又集落へ下降するという案も心の中ではあった。
そういったいろんな思惑はあったが、とりあえず、西の沢左岸尾根をぐんぐん下っていく。下っていくと352pから大倉又沢と小沢倉沢が合流しひとつの沢になるが、その少し下流でデブリがあり、そこが沢が閉塞されており、渡渉が可能なようであった。そこを渡り、514〜461p〜307三角点pの尾根筋に登り返す計画もちらちらと頭の中に混在していた。だが、直ぐ近くに人工物の橋と砂防ダムが直近に見え、自然と体はそちら方向に動いていた。
地図には、橋が2本あると記載されているので、どこかに橋があるのだろうと高をくくっていたのだが、どうも勘違いをしていたようだ。352pから下部は一度渡渉をしないと橋には至れないのである。
沢はまったく人間一人渡るにはどうってことはない水量であり、幅である。しかし、問題はシロが居る。山を歩くだけには長けているが、沢の渡渉や崖登りにはまったく不得手であり、どうしたものかと思案にくれていた。さしあたって一番距離が短い潅木が沢の中央まで押している箇所を選択し、そこを渡渉することにした。シロをそこまで近寄らせ、抱きかかえて対岸へと放り投げる作戦を考えた、が、自分が潅木の枝に滑ってしまい沢に落ち、そのまま対岸へと渡ってしまった。とりあえず、シロを上部のデブリまで誘導しなくてはならない。言語が理解できる犬ならかのうであろうが、シロは雑種のお馬鹿犬であり、手招きしてもこちらの意思を感じてくれないようである。さいご、沢が狭く詰まって箇所に出てしまい、そこから上部はシロに崖地をへつって貰うしかないような地形であった。果たしてここをへつって来れる知識があるのだろうか?と考えたが、やはりシロは予想通り来ない。悲鳴のようなものが聞こえたので、もしかしたら沢に流されたのではないか?と心配し逆に戻ってみるとシロらしき物体が必至で崖地の土が露出している部分をへつっているではないか!、あわてて再度デブリの近くまで行くとシロの姿がない!、シロが崖地を滑落して沢に落ちてしまったのか!?いろんな不安がよぎっていると、なんと足元からぬぅっとシロが姿を現した。まったく常ににくったらしいシロではあるが、この時はさすがに頭を撫でてやった。意思の疎通とは、まさにこのことなのであろう、そう感じた瞬間であった。
シロと合流し、このまま対岸の尾根筋へ登り返すことも考えたが、橋とか砂防ダムの人工物を見てからは、時間も押していたことから予定通り林道を下ることを選択してしまっていた。遠くから垣間見たように、砂防ダムの右岸からはおびただしい雪崩が崩落しており、しばし緊張しながら通過した。
車道に出ると、排雪ダンプの誘導ガードマンが最後の雑用をやっていた。
車道を歩きながら、やはり、途中で三つ又方面への尾根を登り返した方が正解であったとつくづく思った。それにより、ほぼ1時間近くは短縮できたであろうと悔やんだ。
踏み跡以上藪未満、或いはまるで藪というような状況も多々あり、さらに緊張させられるナイフエッヂなどなど、かなりえぐい山旅だった。最後の渡渉の際も、険悪なブロックの下でクラックに落ちたりし、散々であった。
この山塊、かなりやばいところだ。単独では厳しいと感じた。
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同じく大倉山一帯 |
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903ジャンクションから大倉山、当然断念即決 |
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毛猛とか檜(あっちの山のほうがぜんぜん安全) |
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唐松山山頂(やっと人の匂いが。そういや俺もこの山岳会だった) |
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歩いてきた道筋 |
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猫岩をあとにして |
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でんと控える上権現堂山 |
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ブナの花芽が開いています |