5月13日毛猛山
コースタイム概要
足沢鉄橋付近5:20 足沢山稜線取っ付き6:15 足沢山7:28
太郎助山9:25 百字が岳10:10 中岳10:50 毛猛山12:00
毛猛山12:05 中岳12:50(大休止) 中岳発13:20
百字が岳14:10 太郎助山14:40 足沢山16:45
足沢山稜線取っ付き17:45 着18:20(計13h)
朝、小雨がぱらついていた。
待ち合わせの大白川駅ですぐに解散するべきなのか?と、車を向かわせた。
駅で挨拶を交わし、とりあえず足沢口へと向かう事とした。
毛猛山はこの天気では厳しいが、足沢山くらいなら行けるであろうと準備を進める。
無言でHさんとMさんは雨具を着込んでいた。
Mさんは、現在家の改築中であり、物置に置いてあった山の道具を釘で打ちつけられたという。
拠ってザックもないので、山菜採りの格好で登るようだ。
「さて、とりあえず、行きますか」と5:20に鉄橋のある所から出発。
最初からいつもの急登で、体がほぐれる暇がない。
硬い体をほぐしてくれるかのごとく、トラツグミの声やイカルのひょうきんな声を聞く。
やがて、登っているうちに体は暑くなり、汗ばんでくる。
約100mの急登を登ると542mの尾根に着く。
尾根には、ユキグニミツバツツジやタムシバの花が咲いていた。
イワウチワは既に終わりかけていた。
沢筋を見れば、残雪と新緑のコントラストが美しい。
650mに達する頃から、いつもの所で残雪が残っていた。
762mピークを直接行かず、トラバースし先の鞍部に取り付くつもりであったが、雪が拾えそうもない。
雪は、当初多かったのだが、ここの所の高温で大幅に減少し、さらに昨年の今頃を下回っているのであろうと思った。
足沢山尾根取っ付き762mには、小1時間で着いた。
左手奥の前方には、大きく太郎助山が立ち、前方には行かんとする足沢山がある。
共に、小雨ながら視界は良好であった。
ピークから足沢山へ向かう途中で、大きな松の枯れ木が焦げて倒れていた。
落雷によるものであろうか。
この稜線は道らしい道なのであるが、最近の暑さで大分葉が茂り、歩きやすいとは言えなかった。
葉はあるものの、花は少し遅めという感じであった。
標高が少し高くなってくると、ユキグニミツバツツジからムラサキヤシオに変わってくる。
アズマシャクナゲも所々見られるが、3人とも山登りに意識が占めており、誰も花を話題にしない。
忍耐の二文字で、長い長い尾根を登る。
やがて、雪渓が現れ、山頂直下となる。
今回の山旅の当初の目的は、毛猛山登山であったが、生憎の雨で行き先のない登山でもあった。
足沢山までは、2時間強で至っており、どう見てもこのままでは物足りない。
私から「とりあえず、太郎助山まで行って見ますか?」と、促す。
雪の付き具合はまずまずであったが、毎年の事ながら内桧の分岐付近は藪を少し歩く事になった。
太郎助山の稜線に向かって登っていくと、1200m付近からは雪が踏めなくなった。
ただ、数年前に何処かの方々が木を切ったので、藪とは言えず、山道に近いものであった。
かなり急なので、ゆっくりゆっくり登ってゆく。
急な斜面を終えると雪が現れる。
ブロックは存在せず、割とスムーズに歩ける。
雪の斜面を登りきると、正面に見事に桧岳の勇姿が現れ、Hさんと私はデジカメ撮影に精を出した。
MさんHさん |
雪を越えると、シャクナゲだらけの緩登となる。
2回ほど雪提を用い、程なく太郎助山ピークに着く。
出発してから約4時間経過した。
太郎助山からどうするか相談する。
雨は止んできており、相変わらずの素晴らしい眺望と少し明るみさえ出てきているので百字ヶ岳まで行く事にし出発。
Mさんと私は、過去に太郎助山に来ている。
しかしHさんは安田の方であり、昨年単独で足沢山まで来たのみであった。
太郎助山までは、最近は人が比較的入り込みやすい山塊となってしまったが、そこから先は奥宮と言う風格がある。
これらを2人に見て貰いたかった。
太郎助山から百字ヶ岳までは雪は大分残っていたが、時折の藪にてこずったりして45分要した。
天気はさらに好条件になるようで、中岳まで行く事になった。
百字ヶ岳から毛猛までの間は、相当な藪に覆われていた。
従って、百字ヶ岳を越え中岳に向かっていると、いささか根気がなくなってきた。
シャリバテなのか、大した斜面でもないのに息も上がってきた。
一応、最終目的地の中岳に到着。
スリリングな岩稜を持つ百字ヶ岳ピークを含めその一帯は、守門、浅草にはない独特のそそられるような地形が存在する。
毛猛山から前毛猛山に伸びる稜線にも、こういった岩稜があり素晴らしい味わいを持つ。
中岳も岩稜を持つピークであり、ロケーションは勿論素晴らしい。
そこから見る毛猛山は、すぐ傍であるが息を飲むほどの藪に包まれていた。
昨年の毛猛山単独行の雪の付き具合に比べると、全く不利である。
昨年は、山頂直下のチシマザサの密藪近くまで雪を踏めたが、今年は斜面の開始部分から藪となっている。
一応二人の意見を聞き、ここで撤退と決める。
撤退と決まり、MさんがHさんに、一つ向こうのピークに立てば写真が撮りやすいという。
数10m離れたピークに私も向かう。
岩稜の低木に覆われた絶好の尖ったピークで、2人はポーズを決めあい撮影会となった。
僅か数10mはなれたピークであったが、毛猛山との距離感はグンと増したように見えた。
私はやはり毛猛山のピークを眺め、行って見たくなっていた。
写真を撮ってもらったHさんに、体力は如何かと尋ねると、全く問題なしという。
幸い、天候もすぐに下ってくる気配はない。
糞藪の中で視界ゼロにならばければ問題はなかろうと向かう。
適当な場所に荷物を置き、平らな雪場を歩き藪に取り付く。
蔓がないので、密藪とはいえ性根を据えればコンスタントに歩を進めれる。
雪があれば、直下からは30分も掛かるかどうかのタイムであるが、1時間強掛かり、何とか着いた。
歩き始めて6時間40分と言うコースタイムであった。
これは、2002年豊栄山岳会N氏と歩いた環状縦走のタイムと同である。
先ほどまで強かった風も収まり、回りは大パノラマが広がっている。
特に2003年銀山平への縦走を行った未丈ヶ岳への稜線は印象的であった。
山頂で一通り写真を撮り、時間も押してきているので早めの退散をする事にした。
前毛猛山からの稜線もそれぞれに懐かしく、地元山仲間と毛猛沢から登った記憶も思い出された。
懐かしい未丈ヶ岳への稜線 | 山頂での私達 |
パートナー募集中Mさん |
来た藪を折り返す。
下りは早いものとの思っていたが、登りと同じくらいの時間を要する。
毛猛山の直下を下り、しばしの大休止。
今まで大した食事も摂らずに来たので、ゆっくりする事にした。
念のために、ロープやミニスコ、鉈などを持ってきたので、食いもののスペースがあまりなく質素な食事。
Hさんのカップ麺が美味そうに見えた。
欲をかいてチュウハイを積みすぎたのも悪いのだが・・。
Hさんの準備が出来るまで、M氏とテレマーク理論を交し合う。
昼食を食べ終え、出発となったがまたまた折り返しの藪に戦意を喪失。
中岳のピーク付近で、M氏がおどけてみせ笑いを誘う。
山頂稜線の藪をこぐHさん | 直下の藪から雪渓に出る直前のHさん |
山頂直下 | 中岳 |
大休止 | 中岳をふざけて下るMさん |
ようやく百字ヶ岳に着き、記念撮影。
百字ヶ岳のピークには沢山のツガザクラが生息していた。
この花が咲く頃に誰か訪れるのであろうか?見て見たい気もする。
藪の多い、百字ヶ岳までをクリアしたので、一気に太郎助山まで行こうと出発する。
太郎助山でチュウハイを飲もうと決めていた。
酒が切れたためか、自然に太郎助山までのピッチは上がっていたようで、30分ほどで着いた。
太郎助山ピーク近くになると、めっぽう風が強くなり雪提の影で休む事にした。
チュウハイを1缶飲み、さらにM氏からウイスキーの水割りを頂いた。
左上、百字の雪塊 右上、百字辞のMさん 左下、百字のHさん |
太郎助山から下りながら、自宅へ少し遅くなる旨電話する。
毛猛山では通じなかった携帯電話であるが、太郎助山まで来ると文明を感じてしまう。
ひたすら藪をこぎ、雪を踏み、下り、木に掴まり、もくもくと下った。
鉄橋に着くと、あたりは暗くなりかけていた。
朝9時に252号線が開通との事で、一般車がライトをつけて通り過ぎていった。
着時間は18:20。
ゆっくりと余韻に浸り、2人と話でもしたい所であったが生憎7時から部落の会議があり、断腸の思いで、「じゃぁ,また」と言い、先を急いだ。
13時間以上の歩きは2001年の桧岳以来であった。
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